教育勅語の学び①
「教育勅語」について、改めて少しずつ学んでいきたいと思います。
教科書代わりとするのは「倫理御進行草案」です。
「倫理御進行草案」での「教育勅語」の内容を、私が現代語訳しまして、私なりに補足を加えて読み進めたいと思います。
専門的な学者ではないため誤りなどあるかと思いますし、
わかりやすく、面白く説明ができればよいのですが、まだまだそこまで至っていないため、ただ読み進めるだけですが、ご興味がございましたら、読んでください。
まず「倫理御進行草案」とは、昭和天皇が13歳から19歳まで学ばれた、昭和天皇のために設けられた東宮御学問所(大正3年4月から発足)において、
”帝王学”の中核となる「倫理」の担当となった、杉浦重剛先生が講義をされた内容の一部をまとめたものです。
その中で、「教育勅語」についても講義されています。
杉浦重剛先生の講義は、歴史上の具体的な人物エピソードなどを引用しながらわかりやすく行われています。
「教育勅語」以外にも様々なことについて講義されており、とても興味深い内容です。
興味ある方は、ぜひ読んでみてください。(最近、所功先生が「倫理御進行草案」の本を改めて出されています。)
少しずつですが、始めていきます。
注)( )内は読み、【 】内は、補足または語句についての説明です。
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朕(ちん)惟(おも)フニ、我ガ皇祖皇宗(こうそこうそう)、國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ、
徳を樹ツルコト深厚(しんこう)ナリ。
一. 教育勅語を下賜(かし)【天皇など身分の高い人が身分の低い人にモノなどを与えること】された経緯
【まずは教育勅語が下賜された経緯からです。その後、本文の説明に入ります】
明治維新後、わたしたちの国は急速に進歩し、各方面において輝かしい文明の華を開いてきました。
しかし、その裏側には、欧米の文化などを輸入することが急であったため、
政府も国民もともに欧米に心酔してしまい、
一も西洋、ニも西洋といい、
二千五百有余年来【神武天皇が即位された年を西暦紀元前660年と設定した年の数え方(皇紀といいます)。現在は皇紀2677年、】、
発達してきた私たちの国固有の文明も、世界無比の歴史精神も、ほとんど顧みるものがなく、
まさに思想界の危機に瀕しました。
そして、教育方面においても、古来の国民道徳と称すべき、忠孝・節義・誠実の美風は、
まったく忘れ去られてしまっているようでした。
そのため、国民教育では一定の主義・標準がなく、
一方に極端に欧米風を吹かせるものがいれば、他方には時勢の流れに反して、【欧米文化を受け入れることに】かたくなで意固地になっているものがいるなど、混乱していた。
明治天皇は、深く心配され、遂に恐れ多くも「教育勅語」を与えられ、 我が国の歴史的精神、国体(こくたい)【国の在り方、国柄】の精華【本質】、
及びすべてこれより出発する国民道徳の大本を教示してくださいました。
先年(明治41年)、菊池男爵が英国教育会の招聘に応じて、英国に渡航し、日本の教育方針は「教育勅語」に基づいていることを講演された。
講演を聞いた英国の著名な学者・教育者は菊池男爵の講演に感激し、日本の国体の根本が奥深く、国民教育が確かでしっかりとしていることを羨望し、
英国にも日本のように拠って立つべき大方針があれば、国民教育上どれだけ有益だろうか、と言ったと言われています。
このことからも、 明治天皇の与えられた勅語は、日本国民永遠の生命であることを知るべきである。
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まずはここまでです。
初めてこの経緯を読んだ時は、当時(明治23年)の日本人が今の日本人と同じことを感じていたことにとても驚きました。
今の私たちからみれば、当時は多分に日本古来の美風が残っているのではないかと思ってしまいますが、当時の人たちは危機感を感じていたんですね。
もし当時の人たちが今の日本をみたらどう思うのでしょうか。
絶句するのではないでしょうか。
もちろん全てを昔の日本に戻すべきだ、とは思いません。
昔から日本は外国の文化を取り入れ、上手く調和し、日本独自の文化を築いてきました。
しかし、日本・日本人の素晴らしい部分(道徳・作法・文化などなど)は大切にし、忘れ去られようとしていることは取り戻すべきだと思います。
次は、『ニ「朕」の説明』から進めていきます。
ご興味のある方は、またみてくださいね。
ありがとうございます。
以下、『教育勅語』全文です。
「朕(ちん)惟(おも)フニ、我ガ皇祖皇宗(こうそこうそう)、國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ、 徳を樹ツルコト深厚(しんこう)ナリ。
我ガ臣民(しんみん)、克(よ)ク忠(ちゅう)ニ克ク孝(こう)ニ、億兆(おくちょう)心ヲ一(いつ)ニシテ、 世々(よよ)厥(そい)ノ美ヲ済(な)セルハ、 此レ我ガ國体(こくたい)の精華(せいか)ニシテ、教育ノ渕源(えんげん)、亦(また)実ニ此(ここ)ニ存(そん)ス。
爾(なんじ)臣民、父母(ふぼ)ニ孝ニ、兄弟(けいてい)ニ友(ゆう)ニ、 夫婦相和(あいわ)シ、朋友(ほうゆう)相信(あいしん)ジ、
恭倹(きょうけん)己(おの)レヲ持(じ)シ、博愛(はくあい)衆(しゅう)ニ及(およ)ボシ、学(がく)ヲ修(おさ)メ、業(ぎょう)ヲ習(なら)ヒ(い)、
以(もっ)テ智能(ちのう)ヲ啓発(けいはつ)シ、徳器(とくき)ヲ成就(じょうじゅ)シ、進ンデ公益(こうえき)ヲ広メ、世務(せいむ)ヲ開キ、 常ニ國憲(こっけん)ヲ重(おもん)ジ、國法(こくほう)ニ遵(したが)ヒ、
一旦緩急(かんきゅう)アレバ、義勇(ぎゆう)公ニ奉(ほう)ジ、 以(もっ)テ天壌無窮(てんじょうむきゅう)ノ皇運(こううん)ヲ扶翼(ふよく)スベシ。
是(かく)ノ如(ごと)キハ、独リ朕ガ忠良(ちゅうりょう)ノ臣民タルノミナラズ、 又以テ爾(なんじ)祖先ノ遺風(いふう)ヲ顕彰(けんしょう)スルニ足ラン。
斯(こ)ノ道ハ、実ニ我ガ皇祖皇宗ノ遺訓(いくん)ニシテ、子孫臣民ノ倶(とも)ニ遵守(じゅんしゅ)スベキ所、 之ヲ古今(ここん)に通ジテ謬(あやま)ラズ、之ヲ中外(ちゅうがい)ニ施(ほどこ)シテ悖(もと)ラズ。
朕、爾臣民ト倶ニ拳々服膺(けんけんふくよう)シテ咸(みな)其(その)徳ヲ一ニセンコトヲ庶(こい)幾(ねが)フ。」
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